カルチャアの雑日記

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3月13日 個人的な体験

会社のパソコンから唯一気兼ねなく閲覧できる情報コンテンツサイトこと日経電子版を開いていたら(仕事してるように見えるしね)、トップページの中に「エブエブ」の文字を見つけた。先週見たばかりの映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が、アカデミー賞で最多7部門を受賞したらしい。

この映画の宣伝文句の一つに「開眼せよ!」とある通り、英語版のポスターなんか見ても宗教映画的ヤバさを感じる。曲と映像によるヒーリング効果を何回か浴びせられて堪らなかった。テーマとしては「あり得たかもしれない複数の世界線を全て抱きしめて今を肯定しよう」って結構自分にとっては当たり前の考え方だけど、それが分かった上でも本当に面白かったのは、自分の半径数メートルくらいで起きている出来事が自分の情緒をかき乱すものの全部だよなと改めて思えたからだ。極端に貧乏とか大変な生まれとかいう訳でなく、本当に普通の人生を生きている人たちの話だったのも好きだったポイント、半地下に住む人たちや笑う発作持ちの人間を観察するのもまた違って面白いけど、ぶっ飛んだマルチバースはあくまでも私たちの生活の延長にあるって思えた。

タイトルの「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」は、主人公の営むコインランドリーと掛けていると睨んでいる。全てのものを同時に洗うのが洗濯機の役割だから。もっと言えば、every wear(where)を洗濯(選択)──それは流石にギャグすぎる?自分が翻訳する立場なら意識する。

次に電子版を更新した時には、日経平均はマイナス400円台から300円台にまで回復していた。同時にトップページに現われたのは大江健三郎の訃報だった。つい一ヶ月前に友達に大江健三郎ってまだ生きてる?と聞かれて、ギリギリ生きてるよと答えた時、本当にギリギリだったのだ。大学時代の演習のテーマが大江健三郎の世代の文学だった割に、大江健三郎の長編は難しすぎて、結局在学中は一度も手が付けられなかった。代わりに比較的読みやすい岩波文庫の短編集『大江健三郎自薦短篇』と新書の『新しい文学のために』は何度か読んでいる。後者で印象に残っている箇所を引用しよう。

「僕はひとつの作品を、年齢をかさねるにつれて幾度も読みかえすことをすすめるが、(略)ある年齢ごとに、自分をもっとも強く動かすレヴェルが変ってゆくことがわかるからである。しかも年齢を加えるたびに、それらのレヴェルがかさねられ、統合されて、より全体的な読み方ができるようになってゆくからである。しかも若い時にあじわった生きいきした感銘は、その際の読み方のレヴェルの記憶とともに、新しい読み方のレヴェルの下に埋没することはなく、懐かしい光を発しつづけるものだからである。」(大江健三郎『新しい文学のために』より)

え、じゃあ私が今エブエブを見て感動したレヴェルと、主人公のおばさんと同い年くらいになった頃に見て感動するレヴェルと、死ぬ間際に見て感動するレヴェルはまた別ってコト!?考えてみればそれはそう。あり得たかもしれない全ての可能性を抱き締めるには、私はまだ若すぎる。

帰宅してから、昨日録画した佐々木朗希の情熱大陸を見ていたら、津波が起きていなかったら、野球選手になってなかったかもしれないし、分からないですね、みたいなことを佐々木朗希が言っていて、佐々木朗希は今のバースをまだ半分だけ受け入れているような状態で生きているように見えたけど、いつかあり得たかもしれない全ての可能性(震災がなかったらとか、ロッテじゃなくて楽天が交渉権を獲得していたらとか)を抱きしめるのだろうかと思ったり、ただそんなことは余計なお世話で、私はまず、日本で3月3日に公開した映画を3月5日の時点で薦めてくれる友人に出会えるバースに生きていて良かったのだ。

一文が長いのは、昨日ミシェル・ウェルベックの『セロトニン』を読んだことが影響している。精神的にも身体的にも男性器を失った人間は代わりに銃を手にする──高校の頃にTwitterで「男根のメタファー」って流行っていたのが懐かしい。でもいざphallusを手にしても、結局はそれが発射されることはない。主人公が元恋人の息子を狙うこのシーンで、アニメ好きなら「PSYCHO-PASS」1期の、友人のために常守朱が槙島に銃を向けるあの場面を連想するんじゃなかろうか。学生時代にお世話になった文学強強先輩(文学強強剣!があったら強い?)が、彼女が大事な時に銃を撃てないのはそれがphallusであるせいじゃないかと言っていたのを思い出した。抗鬱剤を飲むと性欲が減退するのか、性欲が減退するから鬱になるのか。月曜にエブエブを見て日曜にセロトニンを読んだ一週間は私の感情の振れ幅がえげつなく、また市場も日銀総裁やらパウエルやら雇用統計やらSVBやらでボラティリティがえげつなかった。会社に長いこといるマーケットおじさんが、満月の週は色んなことが起きると言っていたが、それもまた宗教臭いようで、強ち間違っていないのかもしれない。

感染症と不感症 サカナクション「キャラバン」

1月26日にサカナクションの武道館ライブに足を運び、千秋楽の30日にはオンライン配信でもライブを視聴した。アーカイブでもまだ見られるが、当日も生配信にもかかわらず全ての曲に字幕で歌詞が付いていたので、初めて新曲の歌詞をしっかり読めた。

その中で特に、2曲目に歌っていた新曲「キャラバン」の歌詞が面白かった。


「砂に飽きた頃 キャラバンの百鬼夜行」、という歌い出しで、曲調も歌詞もラクダ使いたちが砂漠をぞろぞろと歩いているような雰囲気がある。「この不安ならいつもの」だの「日が暮れるまで歩かなきゃ」だの、長い砂漠をひたすら歩き続けている様子は少し短調でモノトーンな印象で、スローで横に揺られるような一定のテンポで曲が進んでいく。

サビのフレーズは「砂漠のラクダ使い 春夏秋冬(ひととせ)は呆気ない」──このコロナ禍の長い自粛の日々のように思えた。ひたすら耐え続ける中で色々なものが失われて、振り返っても印象の薄い、呆気なく過ぎた時間という感覚がある。
単純に音読みをすれば長い「春夏秋冬」という単語をたった4文字で読んでしまう、この語感自体にまさに呆気なさが表れている。
 
歌詞の中に、「この日々は不感症」というフレーズがある。不感症の意味を調べると、性行為を行っても性的快感を感じないことを指すらしい。コロナ禍で何も「感じない」ようになった、潤いのない日々のことを性に喩えてるのが面白い。

不感症の字面は感染症に似ている。感(染)症に打ち消しの「不」を付けること、つまり感染症を避けることで、不感症=何も感じなくなってしまう、という表現だと思えた。
 
今回のツアー期間中にMusic Videoが公開された別の新曲、「ショック!」は、この「キャラバン」とある意味対をなす曲だと思う。ショック!では、コロナ禍で何も感じなくなった「僕」や「少女」は、ショッキングな出来事による一時的な刺激で乾きを凌ぐしかなくなってしまった。
MVの中でワイドショーが繰り広げられるように、「不感症」な日々の中で無理やり何かを感じるためには外部からのショックを「ただ虚ろに浴びる」しかなくなってしまった。こんなに今の時代を歌えるのがすごいなと思った。
 
ライブの最後の曲「フレンドリー」では、「正しい正しくないと決めたくないな」と歌われた。コロナ禍で本当に何をするにしても──外に出るのは、人と会うのは、ワクチンを打つのは、ライブをやるのは、ライブに行くのは、正しいか?正しくないか?と沢山問われた。それを「決めないで」とではなく「決めたくないな」と呟くような、出口が完全に見えきらないようなムードが、まだしばらく続きそうに思える。

キャラバンのサビは「行こう砂の街 前人未到の夢の里」と続く。長い砂漠を抜けた先に、まだ誰もしたことのない、新しい表現の世界が広がっているかもしれない。そういうオアシスを希望に、もう少しこのコロナ禍の砂漠を歩き続けようと思った。

映画『はちどり』

韓国映画の『はちどり』を観てきた。

 

6月くらいに聴いた「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」の中で、気になる映画と紹介されていて、そのすぐ後で自分がTwitterでフォローしているアカウントのいくつかが『はちどり』について呟いているのを見た。

韓国といえば、今年の2月に映画『パラサイト』を二日連続で観るほどハマり、自粛期間中にはNetflixで『梨泰院クラス』を一気見した。『はちどり』は恐らくドタバタコメディやエンタメではないだろうと思ったが、同じ韓国の映像作品ということで、かなり気になっていた。

 

観たのは横浜の黄金町にある老舗の映画館「シネマ ジャック&ベティ」。昔ながらの渋い雰囲気が素敵だった。映画の日なのでいつもより400円引で観られてラッキー!

 

以下、ネタバレあります。

 

舞台は1994年。団地の一室に住む5人家族のうち、一番下の中学生の女の子ウニが主人公だ。

 

ほとんど事前知識なく観たので、そもそもはちどりってどういうことだろうと思ったが、冒頭の団地のドアが引きで映るシーンで、なんとなく、このマンモス団地の建物の一部を住処にする、小さな生き物ということか?と思った。英語のタイトルは“House of Hummingbird”──はちどり「の家」なので恐らく。

 

中学校に通うウニたち女の子はそれぞれ、家庭内での不仲や暴力や身近な恋愛関係に振り回されており、観ている間じゅうこちらもずっと苦しい。その感情を発散するように、トランポリンの上やクラブで飛び跳ね、体を解放するシーンが象徴的だ。彼女たちはまるではちどりのように、小さく無力な体をジタバタさせて感情を解き放つ。

最も印象的だったのは、後半、ウニが部屋のリビングで一人、足をふらつかせながら歩き回り、それから手を懸命に振ってジタバタ飛び跳ねるシーンだ。

権力主義の父親や、妹に暴力を振るう兄と共に住まう団地の一室で生きていくしかないウニ。しかし、その住処は自殺するほど悪いとは言い切れない(時々考えることはあるにしても)。暴力的な父親も兄も、家族を想って泣いてしまうくらいの愛情は抱いているし、喧嘩した両親も次の日にはテレビを見て談笑する。そんなやりきれない環境の中で、ウニは無力なはちどりのように、ジタバタと手を震わせるしかない。

そして、ジタバタと動くほかに重要なのは多分、歌うことだ。ウニのことが好きな後輩にカラオケで歌ってあげる曲とか、120日記念に彼氏に送ってあげる歌とか、漢文塾の先生の喧嘩したウニたちを慰めてくれる歌とか。無力なはちどりたちは皆歌う。狭い住処の中で、ジタバタと飛び跳ねたり、歌ったりすることで感情を発散するのが、彼女たちはちどりなのだと思う。

 

以上、タイトルに関連させて少し考察してみた。それとは別に、この物語の軸になっているような気がしたのは、ウニにとって大切な漢文塾の女の先生の、「あなたの知り合いのうち、心がわかる人は何人?」という言葉だと思う。ウニの一人称で描かれる話だけに、泣き出す父親や兄、離れていく恋人や後輩、親友の裏切り、漢文塾をやめる先生の行動は本当に唐突だ。ウニのすぐ近くにいる人たちのことですら(一番信頼していた先生ですら)心はわからないということが、物語全体を通してすごくよく描かれていたと思う。

 

最後に、時代背景について少し気になった。全然知らなかったけど、韓国における1994年は、北朝鮮金日成首席の死去と、聖水大橋の崩落事故という二つの大きな出来事が起きた年らしい。特に聖水大橋の事故は、この映画の中でも重要な出来事として描かれている(1994年10月21日とわざわざ書いていた)。日本では1995年に、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起きている。日本の映画で1995年が舞台と言われたら、これらの出来事が何かしら関わってくるだろうと予想がつく。日本と韓国ではそれぞれ別の歴史を持っているとはいえ、90年代中盤に二国の中で起きたこれらの出来事は、互いの歴史においてなんとなく似たような位置付けであるような気がした。

 

以上!

サカナクション「モス」解体

今回は、満を持してサカナクションの話、

と言いつつ、テーマは「マイノリティ」と「作為性」。

サカナクションのこと全然分からない人たちにも、楽しみ方を知って欲しいなという思いでプレゼンします!

 

ファンじゃない人たちからしたら、Mステでよく分からない演出をしたり、テレビラジオで難しそうなことを言っているサカナクションには抵抗があるかもしれない。

 

でも、そのよく分からん!という「違和感」には理由がある。彼らはわざと違和感のあることを沢山やっているんだ。それはなぜか?

深読みすればするほど面白い、サカナクションの世界へようこそ……!!

 

 

今回解説するのは、今年6月にリリースされたアルバム「834.194」に収録されている「モス」!

この曲、実は歌詞やミュージックビデオの表現によって「マイノリティ」の立場の主張をしながらも、緻密なマーケティング戦略で「マジョリティ」受けを狙って、かなり作為的に作られているんだ……。

 

*********************

「モス」の面白さを味わうために、次の順番で楽しんで欲しい↓

 

Apple MusicやSpotifyなどで「曲だけ聴く」

②「歌詞を見る」

YouTubeで「ミュージックビデオを見る」

 

 

①まずはとりあえず曲だけ聴いてほしい。YouTubeを開くのはちょっと待ってくれ!!

なぜか?

曲→歌詞→ミュージックビデオという順番は、実際に今年「モス」が解禁された順番だ。それを是非体感して欲しい、その方がおもろいので

 

 

Spotifyで「モス」を聞く

https://open.spotify.com/playlist/37i9dQZF1DWVV3reXxjGNI?nd=1

 

 

 

…………………

 

 

 

聞いてくれたか!?

 

 

結構アップテンポで楽しげな曲ですよね、

例えばフェスとかで、全然この曲知らない人が聞いても一緒に盛り上がれそうな感じがすると思う。

実は、この曲、ドラマの主題歌としても使われていました!今年7月から放送されていたフジテレビの『ルパンの娘』っていうドラマ、深田恭子が主演のやつ。

 

「テンション上がる感じの曲調」「ドラマのタイアップになるほど表向きの曲」という印象を持っていただければOKだ、

 

では、徐々に解体していきますよ。

 

 

②歌詞

 

 

「モス」歌詞↓

http://j-lyric.net/artist/a04d6c9/l04c4e3.html

 

 

 

…………………

 

 

 

見てくれたか!?

 

 

明るいメロディに対して、歌詞は蛾やマイノリティのことを歌っている。

 

蛾って何だ?

タイトルのモス=mothは英語で「蛾」の意味だ。

そう、この曲は、「繭」を「割って」も蝶ではなく「蛾になる」人たちについて歌っているんだ、そして彼らこそ「マイノリティ」。

 

マイノリティには、もちろん性的マイノリティや民族的マイノリティなど様々な意味もある。

ボーカルの山口一郎は、それらを踏まえた上で、さらに、

「一般にウケないものが好きな人」や、

「他人になかなか受け入れてもらえないような考え方を持った人」たちのことも、

マイノリティという言葉で表現しているんだ。

 

自分が大好きなものはマイナーであればあるほど、皆からいいね!と言われるものと「比べても負け」てしまう、

周りから批判の「雨に打たれ」、やっと開いた「羽が折り畳まれて」しまうかもしれない。

 

これはサカナクションというバンドの抱える葛藤を表した曲でもあると思う。

 

なぜなら、サカナクションの5人は、自分たちの本当にやりたい音楽が現代では受け入れられづらいという「マイノリティ」の意識を抱えているからだ。

 

彼らの曲の中には

・「新宝島」や「アルクアラウンド」のように大衆受けする曲=【マジョリティにウケる曲】

・シングルの売上はあまり良くなかった一方でラジオで山口一郎が泣きながら流すほど思い入れの強かった「グッドバイ」や、シングルB面に収録されている歌詞のない/少ない「montage」「multiple exposure」のように、彼ら自身の想いが入っているものの大衆にはウケづらい曲=【マイノリティにウケる曲】

 

のどちらも存在する、もちろんその間のグラデーションにも曲は沢山存在するが!

 

多分、サカナクションが大衆受けとかを考えないで自分たちの好きな曲だけを作っていたら、紅白やMステに出ることなくアンダーグラウンドの世界に深く入っていくだろう。

 

だから彼らは、自分たちの好きな「マイナーな」音楽に過去の音楽を混ぜたり、JPOPの要素を入れたり、色々な実験をしマーケティング戦略を立てながら作為的に曲作りをすることで、マジョリティにも受ける「新宝島」のような曲を世の中に表してきた。

 

「モス」の歌詞は、その「マイノリティ」の立場にいるサカナクションというバンドの葛藤を表しているとも言える。

しかも、「マジョリティ」に受ける曲調で!

 

ちなみに、この葛藤ソング「モス」にも、レコード大賞お墨付きのザ・大衆ソング「新宝島」にも共通する歌詞が「連れてく」。

 

新宝島のサビの歌詞は「このまま君を連れてくと」、マイノリティの最後の方の歌詞は「連れてく蛾になるマイノリティ」、

私はこの2つの「連れてく」が同じ意味だと思っている!

 

どこに連れていくのか?

それこそ、メジャーではない、もっと広い音楽の世界ではないだろうか?

 

サカナクションを起点に、アンダーグラウンドで深くて未知の音楽を知ること、つまりサカナクションの曲が、未知の音楽が広がる「マイノリティ」の世界へ連れていってくれると私は思っているよ!

 

まとめるぞ!

 

②一般には受け入れられづらいマイノリティの気持ちを表した歌詞、それを①マジョリティにウケるキャッチ―なメロディで歌っている。

この構図が、現代の音楽シーンにとってマイノリティである彼らの反撃であると言えるんじゃないだろうか。

フェスで盛り上がるような曲調を意識して作られていることから、彼らがステージ上で「マイノリティ」と歌って観客が盛り上がる姿は、彼らマイノリティにとっての一つのカウンターパンチ!と取れると私は思う。

 

ではでは、もっと面白くするぞ。

 

③ミュージックビデオ

 

サカナクション「モス」https://youtu.be/123BD9U5FIk

 

 

 

…………………

 

……………なんじゃこりゃ………

 

……ほぼ、静止画やんけ………………。

 

 

ここまで来たらもう分かるか!

そう、このミュージックビデオ、明らかに「マイノリティ」向けである。

 

あんな派手なドラマのタイアップで、Mステでワイワイ歌ってた「モス」のMVこれなの!?

→これが最後のネタバレである。

どんなネタバレ?

サカナクションのやりたいことはこういうことだぞ!」っていうネタバレ。

 

曲を聴くときに歌詞をあまり気にしない人ですら、このMVを見れば「あんなに明るい曲調で何でこれなの!?」となるに違いない。

 

この「違和感」こそ、サカナクションのやりたいことだと思う。違和感の正体は先に述べた彼らのマイノリティ性に繋がる。

 

ミュージックビデオを耐えて耐えて……最後まで見ると、本当に最後!「繭割って」出てきた山口一郎がドアを開けた先で、女性が出てくるのを見られると思う。

 

厳密には女性ではない、

彼女/彼は、「性別のない」モデルの井手上漠さんだ。

 

何でこの方が登場するのか?

そこで、サビで何度も繰り返される「マイノリティ」との関係に引っかかる人もいるかもしれない……

 

「マイノリティ」という言葉には、もちろん色んな意味がある。

山口一郎さんはこの「モス」という曲の歌詞を書くにあたって、性的とか、民族的とか、色んなマイノリティのことを調べて調べて調べていた、のをラジオとかで知った。

そして、彼がレギュラーを務める東京FM「スクール・オブ・ロック」では、「マイノリティ相談室」と題して、マジョリティの中で何かしらの悩みを抱えるマイノリティの生徒(この番組内ではリスナーのことを「生徒」と呼ぶ)からの相談を受け付けている。

本当に、毎回すごく良いので、そっちも興味のある人は是非チェックしてみて欲しいな!

 

 

サカナクションのことになると、どうしても書きたいことが沢山になってしまうので、今回はここまでにするぞ!

 

他にも「違和感」だらけの、そこにしかけがある曲が沢山のサカナクション、これからも紹介していきたいと思っています、

以上だ!!!!!!!

 

 

 

未来の鍵を握る学校SCHOOL OF LOCK! サカナロックス掲示板 2019.6.14「サカナクションのニューアルバム『834.194」を半解剖!」

https://www.tfm.co.jp/lock/sakana/index.php?itemid=13144

マイノリティ相談室

https://www.tfm.co.jp/lock/sp/template/artist18/homework/form_190412_02.html

粗品のツッコミ「突然の死」説

最近、自分でノートに日記をつけ始めたら、

毎日・毎週・毎月アウトプットしたいことが沢山あるのに、やりきれていないことが判明したので、ブログを開設しました。

 

続くか分かりませんが、とりあえず頑張ってやっていきたいなと思っております。

 

粗品の話をします。

もうあと1ヶ月でM-1グランプリ2019決勝なのに、今更、去年のM-1の話だ

 

_人人 人人_
>               <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄

 

突然ですが、こういう記号、見たことありますか。

 

ネットではよく見ますよね。

 

元ネタは諸説あるらしいけど、一つは2ちゃんねるの2012年5月3日の書き込みの、これらしい

 

1 :名無しVIPPER 2012/05/03(木) 21:34:46.74 id:yA54Y7/L0

へ(^o^)へ
|へ

\(^o^ )へ
\|
> 

<( ^o^)>
三) )三
< ̄ ̄> 

Σ ( ^o^)
<) )>グキッ
< ̄ ̄> 

_人人 人人_
> 突然の死 <
 ̄Y^Y^Y^Y ̄

 

 

なんか見たことある。

 

話は去年のM-1グランプリに戻り……

2018年のM-1で優勝した、霜降り明星

その漫才の特徴は、粗品が手を前に突き出しながら、せいやに対して一言で簡潔にツッコミを入れる、あのスタイルだと思う

↑状況を説明していて恥ずかしくなった

 

オール巨人師匠も決勝戦ファーストステージネタ後にコメントしていた。

 

粗品君がボケのせいや君に対して、皆が思ってることよりちょっと上のことを言うてるから、どんどんハマっていく」

 

せいやがボケている時、観客は、そのボケのポイントを把握していない状態で待たされている。

 

そこに粗品があの手とワードセンスでツッコミをぶちかますことで、短時間に凝縮されたでかい笑いが生まれるのだ。

 

↑状況を説明していて恥ずかしくなった

 

そこで思ったこと……

 

 

 

 

_人人 人人人人 人人_

> しょうもない人生 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

このテンプレ記号と、粗品のツッコミ、

親和性が……高い。

 

「突然の死」みたいな、最後のオチで全部拾われることで発生する笑いは、ネットの文章の短さが生んだものだと思う。

例えばTwitterだと、140字以内という規定があるし、規定なくても、ネットの文章が読みやすさ重視で短い傾向にあるのは言うまでもない。

その中で話を完結させようと思うと、内容を凝縮する必要がある。

 

内容の凝縮……

「いや、急に死んだよこいつ!」→13文字

「突然の死」→4文字

 

オチの部分を凝縮することで笑いを取る「突然の死」スタイルがこうして生まれる。

 

さらに、さっき上で引用した「突然の死」の元ネタをもう一回見てみると、

「突然の死」より前は、顔文字記号が踊っているだけで、何が起こっているのか……というより「起こっていることが何を示しているのか」が分からない。

 

それを「突然の死」という凝縮された4文字が回収し、同時に笑いを取る。

 

この構図を霜降りのネタに当てはめると……

 

顔文字記号の動き=せいやのボケ

(意味がまだ分からない)

 

_人 人人 人_

 > 突然の死 <

 ̄Y^Y^Y^Y

粗品のツッコミ(ボケに意味を与える)

 

みたいな感じになるのでは。

 

偶然かもしれないけど、霜降りのM-1ネタでは船上でダンスパーティーっていう設定でせいやが色々な踊りを繰り広げて、粗品がツッコんでいましたね。せいや、顔文字記号説

 

顔文字記号でなくても、せいやは基本的に動きがでかいから、かなりこの「突然の死」の元ネタに近いな!

 

 

話は変わって、今年の7月から、霜降り明星YouTubeチャンネル「霜降りチューブ」が始まった。

 

私もたまに見ているのですが、見てるとまず、粗品はネット系の知識バリ強いことが分かる。

だから粗品は「突然の死」的な笑いの取り方を、他の芸人よりも心得ている気がする。

 

さらに、霜降りチューブ2019年11月7日の【質問】ドリームマッチなら誰とどんな漫才をしたい?回で粗品本人が

「あれ(手付きのツッコミ)はM-1獲るための武器」

と言っていた。

 

ネット普及時代の戦略として狙いに行ったのかなぁ、みたいなことを考えると、

 

お笑いショーレースに反映される「時代性」にエモーショナルを感じてしまうね!

 

雑なまとめ方をしました

 

ちゃんと研究したらゴリゴリの硬い文章になりそうだけど、ブログだからこういう感じでやっていきたいな〜

 

お笑いオタクではないけど、お笑いを見ていると言いたいことが沢山出てきてしまうので、

そのうち天竺鼠のコントと文学理論を結びつけて書きたいと思っているが、

 

むずいし、恥ずいね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_人人 人人人人 人人_

>続かなそうなブログ <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄ 

 

リンク:2019年11月7日【質問】ドリームマッチなら誰とどんな漫才をしたい?【霜降りチューブ】

https://youtu.be/-aH2uRzovsw