カルチャアの雑日記

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私が勝手に読む本を、皆も勝手に読め

f:id:b3aXion:20260827003746j:image突然ですが、今から12月にかけてハンナ・アーレントの『人間の条件』を勝手にダラダラ読みます。忘れた頃に進捗をストーリーに上げるので、もし同じ期間に読む人がいたら、会った時に話しましょう。「これから読みたいから要点だけ教えて」とかでもいいよ。

急に何?って感じだと思うので背景を説明するよ。

友達から「人文系の本を読みたいけどむずいから一緒に読んで欲しい!」という要望をもらったので、読書会をやろうかと思ったんですが、読書会ってかなりハードル高いんだよね。一口に本を読むといっても、どのレベルで読みたいのかが人によって違う。一冊ガチで精読したい人もいれば、読んで自分が思ったことを語りたい人、あれどういう意味?と擦り合わせだけをしたい人、みたいにレイヤーがありすぎる。あと日程を決めて、ここまでに読んできて!と硬めにやるのは皆面倒臭いと思う。対面なりオンラインなりで集まって、じゃあ端から順番に感想を言っていきますか、、とやっていくのは色んな意味でだるいでしょ。あと人文系の本の性質上、読みながら語らっているうちにいつの間にか、偏った思想のコミュニティを爆誕させてしまう可能性もゼロとは言えない。

という感じで面倒臭いので、私がただこれを読んでいますということだけ言っておきます。同じ期間に読んでくれる人がいたら、読んで思ったことの共有でも、分からないところの擦り合わせでも、30秒だけ言及するでも何でもいいから話そう。

ちなみに、高校の友達であれば確か小澤先生の専門がアーレントだった気がして、大学の友達なら内部進学の人は入学時の課題本になっていたと聞いたので、とりあえず初回はこれにしてみたよ。

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1(プロローグ〜2章)→9月

2(3章〜4章)→10月

3(5章)→11月

4(6章)→12月

くらいのペースで読もうと思っています。進捗をたまに伝えるよ。

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(追記)

以下の本も一ヶ月以内には読む予定なので、話したい人いたらお声掛けください。

・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』

(短編集、Galileo Galileiのバナナフィッシュとかの元ネタ、色々あるけど河出文庫の柴田元幸訳が読みやすいと思う)

・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』

(度々SNSでバズる本、80年代日本で流行りまくった記号論の元ネタ)

・福嶋亮大『メディアが人間である』

(我らが福嶋先生の最新情報、スマホとかAIとか)

・前田愛『文学テクスト入門』『都市空間のなかの文学』

(立教の昔々の教授、純文学の読み方みたいな感じ)

ルポ・株主総会劇場

個別株を保有している企業から、たまに郵送で配当金のお知らせや株主優待の商品券などが届く。その度に、自分が事業会社にこき使われる側のしがない会社員である前に、偉大なる株主であることを思い出していた。「定時株主総会のお知らせ」も年に一度届くのだが、いつも平日に行われるため参加できないことを確認しては捨ててしまっていた。四半期の決算発表や決算説明会には仕事柄、毎期こんなに注目しているのに、株主総会のことはマジでよく知らなかった。自分の中に「荒れる株主総会」のぼんやりとしたイメージはあり、本当にキレたりする人いるのか?とずっと気になっていた。そして訪れた無職の期間。例によって、保有する某水産会社から総会の通知が送られてきた。会場で参加できるチャンスが来た。議決権を直接行使しに行く他ない。

会場は中央区にある某高級ホテルの大広間だった。服装の指定は特にないが気分的に、久々にジャケットを着て家を出た。総会開始30分前の9時半に会場入り。同じホテル内で同時間帯に三社の総会が行われるらしい。上場企業の中で最も多い3月決算企業の株主総会はちょうど今の時期、6月下旬に集中している。日経によると6/25に開催される株主総会は525件とのことだ。恐らく今日は、孫さん率いるソフトバンクグループや、今をときめくキオクシア、手土産がもらえる日清ホールディングスの総会に世間の注目が集まっていることだろう。

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ネタバレすると、魚を食べなくなることはないだろう、という見解でニッスイを保有している。現在の業績と株価は安定しており、今回の総会の議題も取締役の選任案のみだけだったので特に荒れる要素もなく、かと言ってそれなりに時価総額の大きい企業なので株主数も少なくない。初めて参加するのには本当にちょうど良かった。

受付で議決権行使書を提出して入場。入り口でホテルの水をもらえて嬉しい。会場内は撮影禁止でスマートフォンの利用も不可だったので、メモを持って行って良かった。シャンデリアの付いた大広間の豪華な赤い絨毯の上に椅子がだいたい200脚くらい並べられている。テーブルがあるのは主催者の企業側のみ。客席側の左右中央にマイクスタンドが設置されていた。それが質問者用のものだと知らず、マイクスタンドの近くに座ったところ、質疑応答の度に自分の顔が質問者越しにスクリーンに映し出されることになる。

来場者が増えてきて部屋を見渡すと、スキンヘッドでメガネのおじいさまがスーツのおじさん二人に挟まれて座っていた。その後ろ姿が自分の昔のお客さんにめちゃめちゃ似ている。会社にいた頃の私は暗い髪色でコンタクトだったが、今の自分は金髪にメガネなので、バレたら会社辞めた途端にイメチェンした奴ということになり恥ずかしすぎる。

まばらに座っていたので正確ではないが、会場参加者は恐らく50人くらいだったと思う。10時になると役員たちが順番に入場し、社長が挨拶して自分が議長を務める旨と進行方法を説明する。そういえば中学の頃の生徒総会とかってこんな雰囲気だったなと思い出した。発言者は議長が指名するとか、監査がなんちゃらとか説明した後で、受付で配られた招集通知の内容に沿って終わった期である26年3月期の業績ハイライトと昨年度の取り組みが事前録音の女性の声で再生された。ここまでは決算説明会とほとんど変わらない。

それが終わると、本題の取締役の選任案に入った。最初に質疑応答を受け付け、その後で信任・不信任を決議するという流れが説明された。質問のある場合は受付で配った株主番号と名前を冒頭に話す、映されたくない場合は事前に伝える、質問は一人二つまで、などと社長が丁寧に説明した後で質問タイムがスタートした。10秒くらいが経過したところで自分の左後ろあたりに座っていた背の低いおばあさんが挙手して指され、マイクスタンド前に移動する。

わたしは、ニッスイさんの缶詰をよく購入しておりまして、そのため缶詰ができるまでのストーリーを想像しておるのですが、漁業関係者は大陸から押し寄せる脅威に晒されており、非常に危険な状態にあると思いまして、ニッスイさんだけでなく、漁業関係者は安全性の面で日本国とどのように連携されておりますか。

といった内容を三回くらい繰り返し表現を変えて喋っていた。畏まっていた会場の雰囲気が急に変わったので「お、なんか始まったかもしれない」と思った。社長はそれまでのトーンを一転して脱力し、ええと、こういう質問ですかね……と若干戸惑いながらも、1911年から海洋事業を行っている我々は安全面の対応を当初からきちんと行っており……と一応それっぽいことを答えていた。おばあさんは回答を得て満足して席に戻った。なるほど、これは答えの中身が重要なのではなく、自らのお気持ちを表明し、それに対して社長のリアクションを得ること自体が重要なのだな。

その後も、御社は昔みたいにヒット商品を作りなさいと提言する男性、とにかく紅鮭が大好きなおばさん、あなた方みたいにこの会場までの交通費が出ない我々に昔みたく手土産をくれと嘆くおじさん、思い出のサーモンフライバーガーをどうしてももう一度食べたいおばさん、など多岐にわたる変人が次々と質問を繰り広げた。中には財務の安全性に関して真面目な質問をする人もいたが、その人も「黒字倒産といったリスクはないですか?」と煽っていた。基本的に株主総会で質問するような奴には客観性のかけらもないということが分かった。仕事を辞めてからの一ヶ月で最も感じていることだが、資産をいくら持っているかは他人を評価するにあたってほとんど何の役にも立たない。

一番怖かったのは、文字がたくさん書いてあるコピー用紙を三枚手にした長身の男性だった。子会社である中部水産の脇坂氏が不祥事をやらかした時、彼らが夫婦でグルだったことを社長はいつの時点で知っていたんですか? 本件についてIR部に質問状を送ったところ、これこれという回答がありました。社長からも株主に対してきちんと説明してください!と終始怒りのトーンでよく分からない告発劇場を一人で上演し始めた。社長は、それに関しては当社ではなく別会社の話なのでこの場での回答は控えさせていただきます、と答えて即終了させていた。質問者の男は、非常に残念です……と不満げに告げて席に戻った。一体何を見せられているんだ。

自分が質問をする気は全くなかったのだが、イかれた個人投資家たちの自分語りを聞いているうちに、こんなに発言するハードル低いなら私もなんか言ってみようかな、という気になった。ここらで金髪の若い女が発言をして会場を怖がらせるか〜と私にしても自己陶酔して気が大きくなっていた。やたら厳かな装飾と参加者たちのカオスな発言が劇場型の演出を手伝い、自分もロールプレイングしたくなってしまうような変な凄みのある空間だった。会場内に知り合いがいるかもしれないことなどすっかり忘れ、知識と勇気を振り絞って緊張しながらも手を挙げてみた。

質問したのは、①事業報告の中でも言及のあった地政学リスクに関して、ナフサ不足の影響は出ているのか、それに関連して②価格改定について、足元で国内では値上げによる販売減も出ていて難しい環境だとは思うが、価格についてはどのような意向か、という二点である。社長からは、ナフサ不足の直接的な影響は当社にはそこまでないが、物価上昇に伴うインフレコストの影響は各所に出ていて一長一短、そして食品を扱っている以上は、消費者の購買意欲が減らないように付加価値のある商品を作っていく方向性で考えている、といった回答を得た。シンプルに自分が気になっていることに関して上場企業の社長の考えていることを聞けて良かった。

質疑応答がひと段落し、最後に取締役の選任について拍手で承認して総会は終了した。思い出したようにスキンヘッドのおじいさまの顔を確認すると全く見たことのない人だったので安心した。会場を出たところでリュックを背負ったおじさんが企業担当者にスライドの文字が小さすぎるとネチネチ文句を言っているのを見た。お手洗いに寄って出て来てからもまだ文句を言っていた。世の中は自分が思うよりよっぽど話の通じない人が多いと普段から想像するようにはしているが、百聞は一見にしかず、実際に観測することができて本当に良い機会だった。

タイパ中にとって野球とは何か

オフシーズンの平日の夜、それまでひたすらプロ野球を見ていた時間の分だけ何かを頑張るだけで莫大な進捗が生まれることを毎年新鮮に発見しているので、タイパ中にとって野球はありがたい存在である→誤り。タイパ中は1日3、4時間も野球を見ない。18時の開始前のスタメン発表から22時50分頃のテレ朝の今日の熱盛まで、いや翌朝の新聞でどのように解説されるのかも確認したく、そうしている間にメジャーの試合は始まるし、夏に至っては日中を通して甲子園の全球をスマホでリアタイできてしまい、つまりはなぜタイパ中を自認する人間がここまで非効率で、加えてファンの応援も虚しくポジティブな気持ちになることもそんなに……と気が付かないようにしている(阪神が強すぎる)不条理・スポーツを好んで見ているのでしょうか? 反射的にドーパミンを放出するホームランの瞬間を求めて? 結果が出るまで2分ほどかかるけど競馬だって似たようなものだし、公営の名のもとに賭けている金額の分だけその瞬間の手の震えは後者の方が上回る(経験談(経験談はどんなフィクションにも勝る ※諸説ある))。たとえ10点差付いていたとしても筒香のホームランでしか得られない感動があるけど、流石に10点差付いていたら嫌かもとシーズン後半にして思っている自分もいる(阪神が強すぎる!)。こんなに時間も機嫌も振り回されてしまうのに、そして甲子園の構造的な問題に全ての野球人が苦虫を噛み潰しているせいで苦虫が絶滅の危機に瀕しているというのに(強豪の一つや二つ失くしても面白いのは絶望的だ(絶望短歌))どうしてスポナビのアプリは常に起動しているんだろう? プロ野球の試合のない月曜日は存在意義がないので、シーズン中でも進捗を生まなければならない局面が訪れた時、タイパ中にとって月曜日はありがたい存在である→誤り。平日があと4日もあるなんてナイターがないと耐えられない。

親子丼が甘すぎて食えないよ

インターネットに載っているレシピを見れば基本的にどの料理も結構なクオリティのものが作れるようになった中で、親子丼だけは何度作ってもあんまり納得のいく味にならない。実家の親子丼のややしょっぱい寄りの味に一番慣れているからだと思う。母親に聞けばいいんだけど、なんかそんな親子丼の味付けってどうしてる?とか聞くの、イコールこの味が好きなんじゃんって発話媒介行為と捉えられたら恥ずかしいじゃん。私たちは愛的なものを意図せずに与えたり受け取ったりしてしまうのだね。愛的、中国語的な響きだね。そだねー。いかにも重要なツラをした全然大したことのない文言が溢れていることに相変わらず腹が立ってしまう世の中で、違うけどそんな感じのことをFranz K Endoも最近ちょうどnoteに書いていて嬉しかった。地獄と言えば(現世の話をしているため)(現世を地獄と思っているため)平安時代の僧である源信の書いた『往生要集』という本を少しずつ読んでいる。極楽浄土にまつわるいろんな文献を引用したNAVERまとめみたいな本で(NEVER forget NAVERまとめ)、前半に具体的にどんな種類の地獄があるか列挙してある。「羊の口や鼻を塞いで窒息させ、または亀を二つの瓦の間にはさんで圧殺した者」が堕ちる地獄があって笑ってしまった。いないだろ。

海の時間と健診のディストピア

健康診断で心を病んだ。今週の平日の何も手につかない感じは病んだとしか言いようがない。“健康”を診断する場所に鬱発動からくりが大量に仕込まれてるのトリッキーすぎるだろ。受付後におかけになってお待ちくださいと言われたので室内で人口密度の比較的低い奥のソファ席に座ったところ、そこは着替えた診察者用であるため受付前の硬い椅子に座り直すよう促された時点でよぎった不信な予感は、名前ではなく番号でお呼びしますと44と書かれたロッカーの鍵を渡された瞬間に確信に変わった。従うべき矢印の先に更衣室があり、鍵の番号にのみ合致するロッカーの中は荷物の置き場ですら靴の位置が点線で示された有様でその瞬間から私は「44番」となった。44なんて数字も避けることはできなかったのかよ。待合スペースは規則正しくテレビの画面の方向を前として一人がけソファが並び、あさイチを見たい人間もラヴィットを見たい人間も全てZIP!の特集を見ることを強要され、四方のドアから鍵番号を呼ぶ声が飛び交い一方向の順序で診察され、視力検査のために外したコンタクトを付け直すために洗面所に寄る動きでさえ付き添いの看護師にドアの前で見張られていた。待合スペースから解放された先にある最後の部屋の椅子の前に置かれた小型のテレビまでもがZIP!を放送し、何か気になる点はありますか?と医者に聞かれた時に変なことを言ったら撃たれるかもしれないと、日テレのタレントのTシャツにBig Brother is watching (you)と書いてあることにハッとしたのは嘘であるにしても、私って初見殺し嫌いじゃないですか、から会話を始める初見殺し・アンチ・過激派から言わせると、矢印や番号を用いて誰もが理解できる仕組みにすることは公共性が高いように見せかけて、初見殺しってそういう意味で言ってるんじゃないからと逆に地雷を踏む結果となり、そのような環境下で計られる“健康”が“健康”なわけないだろバーーカとの思いで歩いていると日比谷公園に辿り着いた。日比谷公園には噴水がある。一定の水流によって形作られる嫌にシンメトリーな噴水を見てお前なんて全然本物じゃないよと思って泣いた。私は前日まで九十九里で地引網をしていた。あのだだっ広い海の中に撒かれた網を年代もその場にいる背景も全然違いそうな人たちが自然発生的な掛け声で一緒になって引き、タイが獲れるのは珍しいですね、唐辛子四つは砂肝と合わせるにしては多すぎますね、みたいな時間軸で生きていたところから一転して大東京のパノプティコンにぶち込まれたのだから、押し寄せる波のせいでもはや自分がどの位置に立っているかも怪しい海と比較して、固定された噴水には何の趣も感じられず、荒波こそが本物であるべきという思いから流れる涙だった。日比谷公園で泣いたのは就職活動中の2020年6月以来だった。二度の経験により、自分にとって日比谷公園は整備された逆走不可の道を進むことを拒めない絶望の象徴的場所となった。しかし私が今結果として相手をしている株価の動きは第一次産業に通じる生き物的な不条理の世界に近い感じがすると苦し紛れに思うので、全部やめてずっと釣りがしたくなっても私はマーケットは毎日追うと思う。市場は「いちば」とも「しじょう」とも読めるがいずれもマーケットである。地引網の帰りに高校の頃の担任から連絡があって、ここ最近メディア等で渋谷について論じられているのを見ると私のことを思い出すと書いていたのが本当に嬉しかった。私の卒業論文のテーマは都市の構造がシステマチックになりすぎて監視社会に近付くことへの批判だった。釣りをやめても今日は大潮だから東京湾でも鰯が大量に獲れるのではと想像するように、会っていない時間に会っていない人のことを考えることは本当に素敵なことだと思う。自分の好きな曲や文学作品はそのために存在しているようなものばっかりだなと最近気が付いた。サカナクションの曲「ホーリーダンス」は、全て放り出して釣りがしたい気持ちとシャーマン的な踊りのトランス状態とダンスミュージックが掛け合わされている。この曲は特に誰のことを考えるための曲でもない。

感染症と不感症 サカナクション「キャラバン」

1月26日にサカナクションの武道館ライブに足を運び、千秋楽の30日にはオンライン配信でもライブを視聴した。アーカイブでもまだ見られるが、当日も生配信にもかかわらず全ての曲に字幕で歌詞が付いていたので、初めて新曲の歌詞をしっかり読めた。

その中で特に、2曲目に歌っていた新曲「キャラバン」の歌詞が面白かった。


「砂に飽きた頃 キャラバンの百鬼夜行」、という歌い出しで、曲調も歌詞もラクダ使いたちが砂漠をぞろぞろと歩いているような雰囲気がある。「この不安ならいつもの」だの「日が暮れるまで歩かなきゃ」だの、長い砂漠をひたすら歩き続けている様子は少し短調でモノトーンな印象で、スローで横に揺られるような一定のテンポで曲が進んでいく。

サビのフレーズは「砂漠のラクダ使い 春夏秋冬(ひととせ)は呆気ない」──このコロナ禍の長い自粛の日々のように思えた。ひたすら耐え続ける中で色々なものが失われて、振り返っても印象の薄い、呆気なく過ぎた時間という感覚がある。
単純に音読みをすれば長い「春夏秋冬」という単語をたった4文字で読んでしまう、この語感自体にまさに呆気なさが表れている。
 
歌詞の中に、「この日々は不感症」というフレーズがある。不感症の意味を調べると、性行為を行っても性的快感を感じないことを指すらしい。コロナ禍で何も「感じない」ようになった、潤いのない日々のことを性に喩えてるのが面白い。

不感症の字面は感染症に似ている。感(染)症に打ち消しの「不」を付けること、つまり感染症を避けることで、不感症=何も感じなくなってしまう、という表現だと思えた。
 
今回のツアー期間中にMusic Videoが公開された別の新曲、「ショック!」は、この「キャラバン」とある意味対をなす曲だと思う。ショック!では、コロナ禍で何も感じなくなった「僕」や「少女」は、ショッキングな出来事による一時的な刺激で乾きを凌ぐしかなくなってしまった。
MVの中でワイドショーが繰り広げられるように、「不感症」な日々の中で無理やり何かを感じるためには外部からのショックを「ただ虚ろに浴びる」しかなくなってしまった。こんなに今の時代を歌えるのがすごいなと思った。
 
ライブの最後の曲「フレンドリー」では、「正しい正しくないと決めたくないな」と歌われた。コロナ禍で本当に何をするにしても──外に出るのは、人と会うのは、ワクチンを打つのは、ライブをやるのは、ライブに行くのは、正しいか?正しくないか?と沢山問われた。それを「決めないで」とではなく「決めたくないな」と呟くような、出口が完全に見えきらないようなムードが、まだしばらく続きそうに思える。

キャラバンのサビは「行こう砂の街 前人未到の夢の里」と続く。長い砂漠を抜けた先に、まだ誰もしたことのない、新しい表現の世界が広がっているかもしれない。そういうオアシスを希望に、もう少しこのコロナ禍の砂漠を歩き続けようと思った。

映画『はちどり』

韓国映画の『はちどり』を観てきた。

今年の2月に映画『パラサイト』を二日連続で観るほどハマり、自粛期間中にはNetflixで『梨泰院クラス』を一気見した。『はちどり』は恐らくドタバタコメディやエンタメではないだろうと思ったが、同じ韓国の映像作品ということで、かなり気になっていた。

 

観たのは横浜の黄金町にある老舗の映画館「シネマ ジャック&ベティ」。昔ながらの渋い雰囲気が素敵だった。映画の日なのでいつもより400円引で観られてラッキー!

 

以下、ネタバレあります。

 

舞台は1994年。団地の一室に住む5人家族のうち、一番下の中学生の女の子ウニが主人公だ。

 

ほとんど事前知識なく観たので、そもそもはちどりってどういうことだろうと思ったが、冒頭の団地のドアが引きで映るシーンで、なんとなく、このマンモス団地の建物の一部を住処にする、小さな生き物ということか?と思った。英語のタイトルは“House of Hummingbird”──はちどり「の家」なので恐らく。

 

中学校に通うウニたち女の子はそれぞれ、家庭内での不仲や暴力や身近な恋愛関係に振り回されており、観ている間じゅうこちらもずっと苦しい。その感情を発散するように、トランポリンの上やクラブで飛び跳ね、体を解放するシーンが象徴的だ。彼女たちはまるではちどりのように、小さく無力な体をジタバタさせて感情を解き放つ。

最も印象的だったのは、後半、ウニが部屋のリビングで一人、足をふらつかせながら歩き回り、それから手を懸命に振ってジタバタ飛び跳ねるシーンだ。

権力主義の父親や、妹に暴力を振るう兄と共に住まう団地の一室で生きていくしかないウニ。しかし、その住処は自殺するほど悪いとは言い切れない(時々考えることはあるにしても)。暴力的な父親も兄も、家族を想って泣いてしまうくらいの愛情は抱いているし、喧嘩した両親も次の日にはテレビを見て談笑する。そんなやりきれない環境の中で、ウニは無力なはちどりのように、ジタバタと手を震わせるしかない。

そして、ジタバタと動くほかに重要なのは多分、歌うことだ。ウニのことが好きな後輩にカラオケで歌ってあげる曲とか、120日記念に彼氏に送ってあげる歌とか、漢文塾の先生の喧嘩したウニたちを慰めてくれる歌とか。無力なはちどりたちは皆歌う。狭い住処の中で、ジタバタと飛び跳ねたり、歌ったりすることで感情を発散するのが、彼女たちはちどりなのだと思う。

 

以上、タイトルに関連させて少し考察してみた。それとは別に、この物語の軸になっているような気がしたのは、ウニにとって大切な漢文塾の女の先生の、「あなたの知り合いのうち、心がわかる人は何人?」という言葉だと思う。ウニの一人称で描かれる話だけに、泣き出す父親や兄、離れていく恋人や後輩、親友の裏切り、漢文塾をやめる先生の行動は本当に唐突だ。ウニのすぐ近くにいる人たちのことですら(一番信頼していた先生ですら)心はわからないということが、物語全体を通してすごくよく描かれていたと思う。

 

最後に、時代背景について少し気になった。全然知らなかったけど、韓国における1994年は、北朝鮮の金日成首席の死去と、聖水大橋の崩落事故という二つの大きな出来事が起きた年らしい。特に聖水大橋の事故は、この映画の中でも重要な出来事として描かれている(1994年10月21日とわざわざ書いていた)。日本では1995年に、阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起きている。日本の映画で1995年が舞台と言われたら、これらの出来事が何かしら関わってくるだろうと予想がつく。日本と韓国ではそれぞれ別の歴史を持っているとはいえ、90年代中盤に二国の中で起きたこれらの出来事は、互いの歴史においてなんとなく似たような位置付けであるような気がした。

 

以上!