カルチャアの雑日記

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感染症と不感症 サカナクション「キャラバン」

1月26日にサカナクションの武道館ライブに足を運び、千秋楽の30日にはオンライン配信でもライブを視聴した。アーカイブでもまだ見られるが、当日も生配信にもかかわらず全ての曲に字幕で歌詞が付いていたので、初めて新曲の歌詞をしっかり読めた。

その中で特に、2曲目に歌っていた新曲「キャラバン」の歌詞が面白かった。


「砂に飽きた頃 キャラバンの百鬼夜行」、という歌い出しで、曲調も歌詞もラクダ使いたちが砂漠をぞろぞろと歩いているような雰囲気がある。「この不安ならいつもの」だの「日が暮れるまで歩かなきゃ」だの、長い砂漠をひたすら歩き続けている様子は少し短調でモノトーンな印象で、スローで横に揺られるような一定のテンポで曲が進んでいく。

サビのフレーズは「砂漠のラクダ使い 春夏秋冬(ひととせ)は呆気ない」──このコロナ禍の長い自粛の日々のように思えた。ひたすら耐え続ける中で色々なものが失われて、振り返っても印象の薄い、呆気なく過ぎた時間という感覚がある。
単純に音読みをすれば長い「春夏秋冬」という単語をたった4文字で読んでしまう、この語感自体にまさに呆気なさが表れている。
 
歌詞の中に、「この日々は不感症」というフレーズがある。不感症の意味を調べると、性行為を行っても性的快感を感じないことを指すらしい。コロナ禍で何も「感じない」ようになった、潤いのない日々のことを性に喩えてるのが面白い。

不感症の字面は感染症に似ている。感(染)症に打ち消しの「不」を付けること、つまり感染症を避けることで、不感症=何も感じなくなってしまう、という表現だと思えた。
 
今回のツアー期間中にMusic Videoが公開された別の新曲、「ショック!」は、この「キャラバン」とある意味対をなす曲だと思う。ショック!では、コロナ禍で何も感じなくなった「僕」や「少女」は、ショッキングな出来事による一時的な刺激で乾きを凌ぐしかなくなってしまった。
MVの中でワイドショーが繰り広げられるように、「不感症」な日々の中で無理やり何かを感じるためには外部からのショックを「ただ虚ろに浴びる」しかなくなってしまった。こんなに今の時代を歌えるのがすごいなと思った。
 
ライブの最後の曲「フレンドリー」では、「正しい正しくないと決めたくないな」と歌われた。コロナ禍で本当に何をするにしても──外に出るのは、人と会うのは、ワクチンを打つのは、ライブをやるのは、ライブに行くのは、正しいか?正しくないか?と沢山問われた。それを「決めないで」とではなく「決めたくないな」と呟くような、出口が完全に見えきらないようなムードが、まだしばらく続きそうに思える。

キャラバンのサビは「行こう砂の街 前人未到の夢の里」と続く。長い砂漠を抜けた先に、まだ誰もしたことのない、新しい表現の世界が広がっているかもしれない。そういうオアシスを希望に、もう少しこのコロナ禍の砂漠を歩き続けようと思った。