カルチャアの雑日記

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映画『はちどり』

韓国映画の『はちどり』を観てきた。

 

6月くらいに聴いた「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」の中で、気になる映画と紹介されていて、そのすぐ後で自分がTwitterでフォローしているアカウントのいくつかが『はちどり』について呟いているのを見た。

韓国といえば、今年の2月に映画『パラサイト』を二日連続で観るほどハマり、自粛期間中にはNetflixで『梨泰院クラス』を一気見した。『はちどり』は恐らくドタバタコメディやエンタメではないだろうと思ったが、同じ韓国の映像作品ということで、かなり気になっていた。

 

観たのは横浜の黄金町にある老舗の映画館「シネマ ジャック&ベティ」。昔ながらの渋い雰囲気が素敵だった。映画の日なのでいつもより400円引で観られてラッキー!

 

以下、ネタバレあります。

 

舞台は1994年。団地の一室に住む5人家族のうち、一番下の中学生の女の子ウニが主人公だ。

 

ほとんど事前知識なく観たので、そもそもはちどりってどういうことだろうと思ったが、冒頭の団地のドアが引きで映るシーンで、なんとなく、このマンモス団地の建物の一部を住処にする、小さな生き物ということか?と思った。英語のタイトルは“House of Hummingbird”──はちどり「の家」なので恐らく。

 

中学校に通うウニたち女の子はそれぞれ、家庭内での不仲や暴力や身近な恋愛関係に振り回されており、観ている間じゅうこちらもずっと苦しい。その感情を発散するように、トランポリンの上やクラブで飛び跳ね、体を解放するシーンが象徴的だ。彼女たちはまるではちどりのように、小さく無力な体をジタバタさせて感情を解き放つ。

最も印象的だったのは、後半、ウニが部屋のリビングで一人、足をふらつかせながら歩き回り、それから手を懸命に振ってジタバタ飛び跳ねるシーンだ。

権力主義の父親や、妹に暴力を振るう兄と共に住まう団地の一室で生きていくしかないウニ。しかし、その住処は自殺するほど悪いとは言い切れない(時々考えることはあるにしても)。暴力的な父親も兄も、家族を想って泣いてしまうくらいの愛情は抱いているし、喧嘩した両親も次の日にはテレビを見て談笑する。そんなやりきれない環境の中で、ウニは無力なはちどりのように、ジタバタと手を震わせるしかない。

そして、ジタバタと動くほかに重要なのは多分、歌うことだ。ウニのことが好きな後輩にカラオケで歌ってあげる曲とか、120日記念に彼氏に送ってあげる歌とか、漢文塾の先生の喧嘩したウニたちを慰めてくれる歌とか。無力なはちどりたちは皆歌う。狭い住処の中で、ジタバタと飛び跳ねたり、歌ったりすることで感情を発散するのが、彼女たちはちどりなのだと思う。

 

以上、タイトルに関連させて少し考察してみた。それとは別に、この物語の軸になっているような気がしたのは、ウニにとって大切な漢文塾の女の先生の、「あなたの知り合いのうち、心がわかる人は何人?」という言葉だと思う。ウニの一人称で描かれる話だけに、泣き出す父親や兄、離れていく恋人や後輩、親友の裏切り、漢文塾をやめる先生の行動は本当に唐突だ。ウニのすぐ近くにいる人たちのことですら(一番信頼していた先生ですら)心はわからないということが、物語全体を通してすごくよく描かれていたと思う。

 

最後に、時代背景について少し気になった。全然知らなかったけど、韓国における1994年は、北朝鮮金日成首席の死去と、聖水大橋の崩落事故という二つの大きな出来事が起きた年らしい。特に聖水大橋の事故は、この映画の中でも重要な出来事として描かれている(1994年10月21日とわざわざ書いていた)。日本では1995年に、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件が起きている。日本の映画で1995年が舞台と言われたら、これらの出来事が何かしら関わってくるだろうと予想がつく。日本と韓国ではそれぞれ別の歴史を持っているとはいえ、90年代中盤に二国の中で起きたこれらの出来事は、互いの歴史においてなんとなく似たような位置付けであるような気がした。

 

以上!